ひとむれ

  このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。   職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。

※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
2010年07月号

ふるさと

校長 加藤正男

 森の緑が蘇りました。

 熱い日が続くようになり、エゾハルゼミの鳴き声が山々にこだましています。オホーツクの独特の天気が急に夏を呼んでいます。6月27日には運動会が行われます。

 昨年の運動会の時期には寒い日が続き、当日は霧がかかり何とかグランドでできましたが、その後の7月は冷たい雨の日が続きました。

 5月の末に全国の児童自立支援施設長会議が広島で行われました。

 百年前の1910年には第一回の感化院長会議が開かれて、当時各施設でかかえていた問題を討議し留岡幸助先生の助言等を受けながら皆で討議しています。無断外出を防ぐにはどうしたらいいか、感化院の職員がさらされている生徒からの危険な状況について、どう対応したらよいか等切実な問題について討議されました。

 今年は施設のかかえている具体的な問題を分科会で討議するとともに、児童自立支援施設の『民営化の問題点を検討する』とのテーマでパネルディスカッションがあり、私と井苅横浜家庭学園長が話題を提供しました。

 昨年の一二月には地方分権・地域主権の流れで、児童自立支援施設は都道府県等の権限で民営化を可能とする道を政府は閣議決定しました。

 児童自立支援施設の設置基準のうち、専門家を置かなければならないとの基準を外しました。

 民間の活力や効率性でやって行こうという趣旨です。

 現在私立で経営されている児童自立支援施設は男子施設の北海道家庭学校と女子施設の横浜家庭学園の二つです。

 私たちの施設は民営ですが、今まで20近くあった民営の施設は、創立者の高い志と職員の努力にもかかわらず設立後短い期間で財政的に行き詰り、そして人材不足等にぶつかりました。民営で残っているのが留岡幸助先生設立のわが校と有馬四郎助先生創立の横浜家庭学園だけです。

 私立の経営は常に経営危機、人の確保等継続することの困難さを抱えています。

 各施設でのさまざまな失敗経験から児童に対する指導の在り方には専門性を高めています。児童の特性に対する理解、医療の支援等その指導レベルを上げてきています。その専門性を設置基準からはずすというのは、今まで関わってきた先輩の方々の蓄積されてきた感化教育・教護・そして児童自立支援教育の伝統を軽視していると思うのです。

 経営の効率化を重視して、児童自立支援施設としての使命が果たせるのでしょうか。最後の砦として、専門性の高い職員によって、家庭での居場所のない、学校・地域でも居場所のない子どもたちの育ち直しの環境を確保することが大切と思うのです。

 とても疑問の多い民営化と指摘せざるを得ません。

 戦後の混乱した時期に校長を二十年間務められた留岡清男先生も家庭学校を北海道に返さなければならないと危機感を抱いた時期もありました。しかしながら多くの人に応援を受け、励ましを受け続けられています。民営の施設でやっているところがあるからできると、家庭学校をその基準とされることには賛成できません。簡単には民営化ができるということを言うことはできません。

 私は、会議の前日留岡幸助先生のふるさと備前高梁を一日尋ねました。

 山に囲まれた盆地です。

 郷土資料館に留岡幸助先生幼年時に使われた石盤がガラスケースに入っていました。細いチョークがそばにあり、大きさは新書本のひと周り大きいです。

 持ち運びに便利でこれで幸助さんが小さい時文字の練習を重ねたものとみると、お父さんはとても教育熱心で商人の家である留岡家の後継ぎとして幸助さんを一日も早く読み書きをマスターして一人前の商人として育てようとした意志が伝わってきました。

 その後高梁教会の八木場牧師さんから江戸の末期から明治に至る高梁に関する人の動きや新島譲の説教、教会に対する迫害等二時間に及ぶ貴重なお話をしてくださいました。三キロ近くはあると思われる、教会に投石したという石に迫害石と彫りこめられています。高梁教会礼拝堂の正面横においてありました。

 留岡幸助先生を育てた備前高梁には山田方谷の精神、江戸末期藩政改革で優秀な職員を育て人々の生きざまがありました。そして新島譲は備中松山藩の人々とのつながりでアメリカへの脱出を可能とし、帰国後数度にわたり、高梁で説教をしています。多くの方々がその話に感動を受けています。教育の大切さ、特に女子に対する教育の大切さを説き、その話に感動した福西志計子は後に順正女学校を開きました。

 もちろん当時の耶蘇教に対する偏見から大きな迫害がありましたが、それを乗り越え多くの優秀な人々をうみだしました。その一人幸助先生は一八歳の時、父から棄教を迫られ、しばられ、つるされたりして迫害を受け、夜の一一時ごろ家から逃げ松村牧師の家を訪ね、一緒に近くのお寺でお祈りをし、その後二十キロを歩いて岡山の金森通倫氏のところに助けを求めに行っています。

 幸助先生は高梁教会から奨学金を受け、同志社の神学校に三年間通いました。

 幸助先生のふるさとが教育の熱心な地域であり、経済的にも幸助先生を奨学金という形で応援できるということはすごいことだと感じました。

 家庭学校に入ってくる生徒の経済的な状況は大変厳しく、大学や専門学校へ進学するという余裕はなく、高校も厳しいという家も少なくは有りません。

 教育が大切だという環境が本人の養育上とても大切です。そして生徒たちの周りに目標となるような大人の人との出会いが大切です。

 家庭での居場所を失い、学校での居場所を失い、地域から、孤立した中で志の高い生き方を学ぶことは困難なことです。

 幸助先生は北海道の空知集治監の教誨師として、一人一人の受刑者に個別の面接をし、その養育環境を聞き取ったなかで、八割近い受刑者の方々が十二、三歳くらいには犯罪を繰り返している現実にショックを受けました。一人の犯罪者を生み出さないためには、小さい時の養育環境が大切なことを、そのために志の高い大人とともに生活をしていく、そして家庭的な雰囲気の中でそして自然あふれる場所で生徒たちの居場所をつくっていきました。家庭にして学校、学校にして家庭のなかで育てる環境を造ろうと一八九九年東京の巣鴨に家庭学校をつくりました。

 1914年(大正三年)に北海道から千町歩の払い下げを受け、遠軽の現在地に北海道家庭学校分教場を創立しました。それから百年近く維持しています。

 理事長が変わりました。

 平成9年より校長を12年間され、また、後年には理事長をとして兼務しながら学校の運営に汗してくださいました小田島理事長が、このたび奈良の御自宅に戻られるとのことで、5月31日に退任が理事会で承認されました。後任には永井信理事長がつかれました。

 永井理事長は若い時、北海道庁に勤務されながら、留岡幸助日記集の編纂に編集委員として留岡清男先生とともにその任に当たられ、留岡幸助日記集の出版に加わっていただきました。

 その後、日高支庁長・北海道生活福祉部長等歴任され、児童の福祉を道の立場から御指導いただきました。現在は「北海道いのちの電話」理事等さまざまな方面で御活躍をされていますが、当家庭学校の理事長として、迎えることができました。

 あと4年で北海道家庭学校は百周年を迎えます。その記念事業についても永井信新理事長の元、家庭学校職員・OB職員、家庭学校を支えていただいている多くの方々の御意見を尊重し、具体的な記念事業計画を策定したいと考えています。皆様のご支援ご指導ご助言を仰ぎたいと考えています。ここで育っている生徒たちの最善の利益を守るためにも、日々の生活を大切にしつつ、その先の光を見ていき

2010年07月号

手とおへそ

鶴岡 綾乃

 五月のぽかぽかしたある日に書いています。今日ある子がぽつりと、「正直って大事だと思うんです」と視線を少し遠くにやりながらつぶやきました。全ての瞬間が、家庭学校での私たちの日々の、何気ない、そして大切なひとときです。

 わたしは、この春から北海道家庭学校での生活を始め今日も暮らしています。子供や職員との生活で最近感じられることを2つ、ひとむれを読んでくださるみなさまと共有したいと思います。

 一つは手のことです。

 わたしは、ひとの手は、身体の一部でありながら、ひととこころを通わす生き物ではないかと思うようになってきました。子どもが食べるごはんを作ること(週に何度か、お昼ごはんを作らせていただいています)、部屋に飾るお花を摘むこと、一緒に掃除をするときに雑巾をしぼること、、(べたべたするという意味ではなく)ただただぬくもりが通い合っていくこと、そのようなことをこの手はしているのだなあ、としんみり感ぜられた瞬間がありました。この手があたたかくあり続けてくれたら、と心の奥で願うところです。ぬくもりが生きたぬくもりになるためには、健やかな心と身体とをもって子どもと生活していくことが大切なのではないかと思います。「健やか」ということばは「まっさら」や「まっすぐ」、「元気で明るい」という言葉だけではそのすべてを形容しきることができないような、しかし、とても単純で淡白なものではないような感じがします。言葉としては漠然としか表現できなく、うまく伝えることができず、ごめんなさい。ただ、やはり「健やかさ」について思うと、それがなんだかとても大切なことのように感じられるのです。心も身体も健やかでいられてこそ、子どもと共感し合ったり、「さ、こんな世界(人間関係やものごとの捉え方などについてのさまざまな視点の一つ)もあるんだね。一緒に見て触れてみようか。」と子どもの背中を支えたりできるのではないかと思っています。

 もう1つは、おへそのことです。

 わたしは、子どもとおへそをつなげあって生活していきたいと思っています。目は、どうにも合わせられないこともあるようにわたしには思われます。「目は心の窓」という言葉もありますが、もしその言葉が指し示すことが真実に近いなら一層、子どもとの関わりの中で目を合せることを常に指向できないのではないだろうか、とわたしは考えています。生活を共にするということは、お互いが心や身体に染み入ってくるような密な関わりの中で、お互いに外から内から心が痛んで、心がどうしても耐えられなくなることがあるかもしれないと思ってしまうのです。しかし、やはり、子どもとつながり合おう、つながり合っていたいなという心の動きがわたしの中にあるようなのです。

「人として、子どもと生活をともにする大人として、誠実であろう。周りにいてくれる人々にも、自分にも、いつも誠実でいて、向かい合うことや一緒に何かを見つめることを恐れずにいたい。正直で泥臭くいたい。」

 言葉は想いのかたちを縁取ってはくれません。その限界をわかったうえでの、今のわたしに紡ぐことができる精一杯の言葉です。子どもとちゃんと向かい合ったりつながり合ったりしていたい、と思うのです。そんなわたしが守っていたいのは

 「おへそだけは。」

という気持ちなのかも知れないと感じています。「もしも目を直視し合えないときも、おへそはいつでもあなたのほうを向いているよ。ぶちんときったりしない。ちゃーんとつながっているよ。いつでも待っているからね。」という気持ち。そのような気持ちと態度と行動を、ぷろとして身に染みさせていよう、と思っています。それから、おへそでつながっているというのは、向かい合う状態だけではなくて、お互いにつながり合いつつ、いろいろな方向や景色を一緒に見つめたり眺めたりする状態をつくってくれているのかもしれない、とも思います。

 こういったことを、子どもたちが、子どもたちとの生活が、気付かせてくれます。こどもは、「なぜ」「どうして」「わからない」を、その存在すべてを懸けて放ちます。わたしのほうも、生きていく中で悩みや問いは尽きません。対話をし続け、子どもとともに学び続けて生きていきたいです。

 さて、言葉を紡ぐとき、自分の状態がそこに移されると思います。家庭学校で生活している私は、今、どのような状態なのでしょうか。この紙を前にしながら、「今、自分は健やかでいられているだろうか。子どもと誠実でいられているだろうか。」と、自分との対話をしているのだと思います。

 さいごに、人間としての謙虚さこそ忘れない人で在れるように、記させていただきたいことがあります。

 どんなに「ああ、健やかだなあ。誠実でいられるのではないかなあ。」と感じられるようなときを過ごしていても、「ほんとうにそうかな」と、静かに想いをめぐらせられますように。そして、周りにいてくださるみなさまから、あたたかく叱咤激励していただける人間で在れますように。きっとその想いをもち続けられますように。