このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
 職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。


2010年05月号

希望

校長 加藤正男

 枯れ草の合間から福寿草が顔をのぞいています。昨年の秋に植えたパンジーの花畑もあちらこちらにでてきました。しかし四月一六日の晩に入り雪が積もりました。湿めった雪です。冬の世界に逆戻りです。

 五月の上旬にも雪が降る時があります.汚れた雪の上に白い雪が積もります。所々にある雪の下には雪解け水が激しい勢いで谷を走りぬけます。

 長く続いた白い森の世界から木々や花が厳しい冬の寒さに耐え一気に芽をひらかせます。

 一八九九年留岡幸助先生の開設した東京巣鴨の家庭学校周辺は日清戦争、日ロ戦争、第一次世界大戦等時代を経るに従い都会化してきました。

 東京の巣鴨が栗林や鳥たちの多く住んだ村から一気に都会になってきました。いたずらな少年が空気銃で鳥を撃っていた場所から繁華街が迫ってきました。

 アメリカやカナダで視察してきた感化院は自然豊かな場所であり、気候も厳しいところです。

 幸助先生は不良少年には温かな場所はふさわしくない。温かな場所ではどうしても作物は簡単に取れ、そうでもなくて、早熟の不良少年にとって都会は教育環境がよろしくないと考え遠軽に家庭学校を開設しました。

 四月一四日は誕生会が給食棟で行われました。この給食棟は三十年前に建てられたものです。

 日曜日を除く昼には生徒と職員がここに集い食事をとります。

 当時の谷校長が熱い思いでつくられたものです。

 「本校創立以来六六年間、各寮舎ごとに三度三度の食事をしていたのですが、今年度一九八〇年度から日曜日をのぞいて全校で昼食をともにすることにしました。寮の夫人と、住宅の夫人が交替して炊事にあたります。

 三度の食事の世話をしていた寮の夫人は、朝夕の二度の食事だけとなると、ともかくも、まとまった時間ができたと大変喜んでおります。そのまとまった時間は、夫人職員の教養にも、休養にも大きな効果をあらわすであろうことが期待できます。

 本校の生活に新しい光を添えることになった」と『ひとむれ第四集 谷 昌恒著』に書かれています。一九八〇年一二月五日の夜に全校が集まって誕生会が開かれました。それまでは各寮単位で行われていました。

 今年は三六五回目にあたります。

 誕生会ではその月に誕生日を迎えた生徒たち、寮長寮母さんたち、職員、分校の先生一人一人を紹介しささやかなプレゼントを準備し、手巻きずしを始め心のこもったメニューが寮母さんらで作られます。

 こんなに大勢でお祝いされたことはなかったのです。二度目三度目を迎えてもとてもうれしいと食堂の横にこしらえた舞台前の椅子に座った生徒たちは緊張しています。

 会食の後は各寮からの出し物です。ゲームをしたり腕相撲で力比べをします。

 歌やギターの演奏の時もあります。分校の先生や職員によるギター演奏や歌もあります。職員のお子さんたちが走り回ります。

 最後に先月の出来事をビデオや写真で紹介するコーナーがあります。三月の卒業式の晴れやかな姿や、去っていった生徒たちの顔が映し出されます。先月の誕生会で、はしゃいでいた職員のお子さんの姿に見ている人たちの笑いが起こります。

 新入生で入ったばかりの子たちもびっくりしてこの輪の中に入ります。一週間前の昼食時この食堂で椅子を振り上げてみんなをびっくりさせた生徒です。 入ってきた生徒が安定した生活を送るまで寮長寮母さんにとっても毎日が戦争状態です。周りの生徒がさらにイライラすると訴えます。

 一年近くたった生徒が寮長の部屋から父と電話をします。とんでもない生徒が入って困っている。やつてられないよ、父さんから小さい時のお前の姿といわれ、おれはそれほどひどくないと返事はしています。

 しかし、本人も最初のころは寮長に言葉で反抗し仲間ともケンカが絶えなかった生徒です。生徒たちは成長していきます。失敗を重ねながらここでの生活に居場所を見つけていきます。

 北海道新聞で四月一四日から一六日にかけて、ぼくたちの居場所 遠軽北海道家庭学校の今と題して上・中・下の特集記事が掲載されました。

 二年近く家庭学校の取材を続けてこられた遠軽支局の野口 記者の記事です。生徒たち、そして卒業生にも何度もインタビューをしてもらいました。

 卒業が近づいてきた生徒に家庭学校の一番の思い出との問いに「みんなで毎日笑いながら食事ができたこと」をあげています。

 そして寮長・寮母さんのインタビューでは子どもに深くかかわれる仕事と三年前、こちらにこられたご夫妻が、「入所者の親代わりの生活は二四時間一緒で正直大変だが、子どもの成長をまじかで見られることが、何よりの喜び」と答えています。

 子どもは変わっていくのです。虐待を受けて人に対する不信感を持ち続けている生徒も変わっていきます。なかなか先が見えてこない生徒もいますが、捨てるべき人はいないのです。

 野口記者が来られ校長室でインタビューを受けていた時間も、新入生が大きな声で不満を述べ続け玄関で職員の制止を全く無視している生徒がいました。

 一時間ぐらいで収まりましたが、生徒は暴れまくってもけろりとして寮母さんのつくった手作りパンをおいしそうに食べています。

 三月から四月にかけ十四名の卒業生を送り出し、そして五名の生徒を受け入れました。

 現在三三名です。昨年度の後半から四か寮体制なので、昨年度の後半は受け入れが難しくなっていました。 今年度から寮に寮長・寮母さんが新たに加わりました。兵庫県の児童自立支援施設で寮長・寮母を長年務められた方です。

 昨年の一二月の末にこちらを見に来られました。遠軽の厳しい冬をそして、勤務条件もきびしいなか、決断したのです。近いうちに寮が開かれます。

 ただちに多数の新入生を迎えられることは困難ですが、受け入れも徐々に可能となります。

 すぐにケンカを始める新入生がいます。寮が混乱してしまいます。その寮で問題だった生徒が優等生に見えます。

 教室でも落ち着いて授業が受けられません。分校の先生や家庭学校の職員も複数で対応しています。

 今まですぐケンカをしていた先輩の生徒もそのトラブルを経験しながら成長してくれます。

 生活にこだわりをもっている生徒がきます。先輩の生徒が丁寧に生活のことを教えるのですが、一つ一つ理屈を述べてしまいます。

 寮長先生が丁寧に対応します。

 やるべきことをしっかりやるのが家庭学校のスタイルであることをしっかり指導します。

 静かに生活する新入生もいますが、早く生活に慣れて寮長・寮母さんとつながりができるようまで心配です。しかし希望はあります。それは当り前のことですが、子どもたちが成長していくことです。慣れるまで何でこんなことしなくてはいけないのと言っていた生徒が先頭になって難儀な作業をやりこなします。

 その成長があるからこそ、私たちの仕事には希望があります。

 家庭学校の経営は現在の生徒数ではやっていけません。今までも経営的な危機は訪れており、その危機的な状況を留岡幸助先生・清男校長・谷校長は乗り切ってこられたのです。

 現在ではかってのように七十名を超える生徒を預かって家庭学校の生活を維持していくことは困難です。四十名ぐらいでも経営的にやっていけるよう、体制をつくっていかなければなりません。

 皆様の経済的・精神的な支援は本当にありがたく感謝しています。そして北海道家庭学校後援会の方々からも多大な支援をいただいていま

 あと四年後に創立百年を迎える家庭学校に希望の光が見えるよう、生徒たちの成長を確実に守り育てていく家庭学校でありたいと考えています。

2010年05月号

半年が過ぎて

滝口 優子

家庭学校に勤めて半年、成長期である子供たちの食事に関わらせていただき、やりがいと難しさを実感する毎日です。

 生徒の食事は朝夕は寮で、昼は給食棟で三食とも寮母さん手作りのご飯を食べています。勉強で頭を使い、作業で身体を動かした分しっかりと食べる事が大切なので、献立作成は偏りが出ないように且つ生徒の好きなメニューを取り入れていく事を心掛けています。

 初めて給食棟に来たとき、食べ残しがゼロだという事に驚きました。好き嫌いがあっても残さず食べるということは食事のありがたみを理解しているという、何よりの証拠ではないでしょうか。生徒が汗を流して育てた野菜を、寮母さんたちが生徒の食べる姿を思い浮かべながら調理をし、生徒はその食事を残さず食べる。食事を通して、それぞれの思いが通じ合っているように感じられました。

 夏には蔬菜部が中心となり、学校内の畑で野菜や豆など多くの作物を育てます。作られた野菜は朝昼夕の献立にのぼり、キャベツや白菜などは越冬して春まで頂きます。その食材を使った献立作成をさせてもらえることは、栄養士としてとても幸せです。

 毎月の誕生会や、行事の時には寮母さんたちと意見を出し合いメニューを決めていきます。時間や手間をかけ、良いものを作ろうという寮母さんの姿から家庭学校の食に込める思いを強く感じます。代々受け継がれてきた行事食などは、出来上がると温かみのある、季節感溢れるものばかりです。

 長い間作り続けられてきた伝統と、食事に対する思いを、これからも引き継いでいきたいと思っています。

 食べるということは、ごく身近で奥の深い行為です。人間の健康な身体と心を作る大切な土台となっているものです。生徒たちにその食事や食習慣が自然と身についていくような、楽しく、おいしい食作りを目標に、周りの方々と力を合わせて頑張っていきたいと考えています。