このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。
 職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。
※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。


2010年04月号

歳月

捧 一

 一九七〇年八月六日、ニュースは広島平和記念式典の模様を伝えていました。戦後二五年目の夏のことです。

 「戦後、四半世紀の時が過ぎました」

 記憶に間違いがなければ、広島市長が述べる追悼の辞は、このように始まりました。

 当時一二歳だった私にとって、二五年という歳月は、天文学的過去に思えました。

 いま、自分が五二歳になって、歳月に対する意識が変わったことを感じます。二五年前、初めて家庭学校を訪ね、当時の加藤教務部長にお目にかかったときのことは、昨日のことのように覚えているからです。

 「二五年という歳月は、過ぎてみればあっという間のことなのだ」

 一二歳の私に、過ぎていく時の重さを意識させた広島市長の言葉も、実感を伴って理解できるようになりました。

 一方で、二五年という歳月は、決して短い時間ではありません。この二五年の間に、世界、日本、家庭学校も大きく変わりました。

 一九八九年、ベルリンの壁が崩壊しました。戦後長く続いた東西対立が終わり、平和な時代が訪れる。世界はその予感に胸をふくらませていました。ところが、その後世界は、民族対立や宗教対立さらには国家間の容赦ない競争に覆われます。対立のない平和な世界は、かえって遠ざかっていくかのようです。

 日本ではバブルが崩壊し、それ以前に積み重なっていた国の長期債務がとてつもない重荷としてのしかかってきました。公共事業の削減は、卒業生たちの受け入れ先となっていた土木、建築業界を直撃したのです。

 「子供たちに希望の持てる将来があると教えること。自分はたいしたことないかも知れないけれど、何とか人並みには生きていけるという希望を持たせること。これが寮長の仕事だ」

 私が家庭学校で働き始めたとき、先輩寮長は寮長の仕事をこう教えてくれました。

 家庭学校で暮らす子供たちにもエネルギーがあり、そのエネルギーの矛先を変えてあげれば、社会もそれを受け入れるだけの余裕があった時代のことです。

 労働者派遣法が改正され、非正規雇用が一般化するにつれ、人が技能を身につけ、成長し、誇りを持って生きていくことが難しくなっています。子供たちの受け入れ先も痩せ細ってしまいました。

 子供たちの受け入れ先が細るということは、子供たちの親の生活にも影を落とします。不景気は親の生活を直撃するからです。虐待問題は、貧困と強い関係があります。経済状況が厳しくなればなるほど、家庭学校でも虐待を受けてきた子供たちの割合が増えてきました。

 その子供たちも、注意欠如多動性障がい、広汎性発達障がいなどの発達障がいを抱える子供たちが増えています。学校や家庭に居場所をなくしてしまった子供たちが、家庭学校に入校してくるのです。在校している子供たちのほとんどが、そうだと言っても過言ではありません。

 卒業する子供たちを受け入れ、育ててくれる職場が激減してしまったこと。子供たちも発達障がいを抱え、社会適応が難しくなっていること。家庭基盤が弱いことなどから、退所後の進路は難渋します。以前も進路が難渋することはありました。しかし、近年はその傾向がいっそう強くなってるのです。

 子供たちをどういう形で社会復帰させていくのか。入校時点で、児童相談所と細かく協議し、方針を立てても、途中で子供の気持ちが変わったり、家庭環境に大きな変化があったりして、当初の予定通り進路調整を進めることが難しくなることもあります。その児童相談所は、虐待対応に追われ、職員が深夜一〇時、一一時まで仕事をしていることが常態化しているのです。

 先日も、児童相談所職員と職場実習の打ち合わせをした際、午後九時から別件の家庭訪問があるという話を聞きました。 「事業は一〇年で少しく変わり、三〇年で大きく変わる」

 留岡清男先生が谷先生を校長として招聘する際、こう話されたそうです。その言葉が実感を持って胸に響くのです。

 家庭学校では、二五年前、七つあった寮が現在では、普通寮三,高校生寮一の四寮になりました。寮の数が減るということは、緊急時の対応に余力がなくなることです。

 この厳しい現状の中で、私たちは子供たちに何ができるのか、どういう対応をとるべきか。創立者の衣鉢を継ぐ私たちは、家庭学校の現代的意味を考ない訳にはいきません。

 先日、春の雪解けの中、大きな子どもたちが薪割りをしている横で、小学校五年生の子どもが、どろんこ遊びをしていました。飛び散った薪の破片などを集めて、泥のダムを造っています。

 「先生!泥のダムができた!すごいでしょう!」

 体中泥だらけになりながら、喜々として遊んでいる姿を見ていると、ルソーの『エミール』を思い出します。

 家庭学校でおこなわれる教育の基本は、「強いる教育」です。お風呂に入るためには、木を切り倒し、薪を割らなければなりません。強いられた作業をする中で、子供たちは自然からたくさんのことを学び、自分と向き合います。しかし、それだけではありません。家庭学校には童心の喜びもあるのです。

 厳しい作業もありながら、子どもたちに童心の喜びを与えられる場所。その懐の深さが家庭学校の魅力でした。その時その時の子どもたちに合わせながら、同時に高い目標を掲げている。「古くて新しい学校」であり続けたい。それこそが歳月を超えて家庭学校が歩み続ける意味ではないか。そう思うのです。

 私が家庭学校で仕事を始めてからでさえ、世界と日本は大きく変わり、子供たちや家庭学校の様子も大きく変わりました。児童相談所をはじめ、子供たちと関わる現場は日々苦闘を続けています。

 この苦しい時期を乗り切るためには、自分たちの努力を当然として、多くの助けが必要です。政策的助力ばかりでなく、関係機関をはじめ、子供たちに心を寄せる多くの方々からの支えを必要としています。お力添えをお願いいたします。