ひとむれ

  このコーナーでは、家庭学校の月毎の機関誌である『ひとむれ』から一部を抜粋して掲載しています(毎月上旬頃更新予定です)。   職員が、家庭学校を通じて感じたことや伝えたいことを表しています。是非、ご感想をお聞かせください。

※都合により『ひとむれ』本誌と内容が異なる場合がございます。ご了承下さい。
2018年08月号

「環境療法」

校長 仁原正幹

 児童自立支援施設入所児童の平均在籍期間は一年半ほどですが、中には若干短い場合もあります。高校進学のタイミングで何とか巣立たせたいとの思いから、一年に満たない場合でも退所させるケースが少なからずあるのです。そうしたケースも含めての平均一年半ですから、在籍期間の目安は概ね二年が基本であり、また理想かなと、私は考えています。

 毎日繰り返される生活指導や作業指導の日課の中で、一年目の児童(後輩)が二年目の児童(先輩)の生活振りや作業振りを見ながら、所作を真似しながら、少しずつ感化されていくというのが児童自立支援施設におけるグループダイナミックスの醍醐味であると、私は考えています。

 したがって、半年だけ預かってほしいなどという要請には応えられません。児童自立支援施設は単なる生活の場ではないからです。育ち直しの時間が足りなければ愛着形成や自己変革が十分に行われず、指導・訓練の効果が顕現しません。稀に保護者の強い要求により道半ばで引き取られるケースがありますが、予後は良くありません。また、子ども集団の中には先輩・後輩の立場や役割もあるので、まだまだ未熟で不安定で問題の多い後輩が先に退所していくのでは、集団の秩序が保たれず、各人の士気も上がりません。

 反対に在籍期間が長くなり過ぎてもいけません。自律心(自立心)が育たない弊害もありますし、そもそも長ければ長いほど良いというものではないのです。能力的な問題や非行特性などの要因も絡んで二年在籍時点で成長が頭打ちになっている子どもを、三年、四年と延長して児童自立支援施設という窮屈なシステムの中に囲い込み続けても、それ以上の成長は期待できないというのが、私の実感です。一定の成長を確認した上で、次のステップに進めてあげることが大事です。

 そのようなわけで、児童自立支援施設の在籍期間は初めから定められているものではないのですが、結果として一年半から二年という期間に収(しゆう)斂(れん)していくものなのです。そこで、入所措置を決める児童相談所も、受け入れる我々施設側も、もちろん児童本人も保護者も、一年半後、二年後を見据えての共通の自立支援計画を描くことが肝要です。場合によっては原籍校や元の施設・里親、さらには地域の関係機関なども含めた多くの関係者の理解が必要です。一年半後、二年後にはその子どもが戻ってくるという大前提を頭に描いて、本人の家庭学校での成長振りと留守家庭の変容の様子を皆で温かく見守ってほしいと、私は願っています。

 少年司法分野における少年院とは指導の手法が大きく異なります。同じ年頃の非行傾向のある子どもに対応している初等少年院、中等少年院の場合は、六カ月程度とか十一カ月程度とか、予め収容期間が設定されています。児童自立支援施設の平均在籍期間よりは遙かに短い期間です。少年院では短期的集中的に、より強い指導をしているものと思われます。

 「矯(た)める」という言葉があります。「曲がっているのを真っ直ぐにする。また、真っ直ぐなのを曲げる」という意味です。「矯(きよう)正(せい)」という言葉もあります。「欠点を直し、正しくすること」という意味で、この「矯める」とか「矯正」という言葉をインターネットで調べると、①「盆栽」と②「歯医者」と③「少年院」が次々にヒットします。①には、枝振りを良くするために針金などで強く引っ張っている盆栽の写真が出てきます。②には、少子化の昨今大繁盛している「歯列矯正」という歯科治療技法の宣伝が出てきます。

 そして③の少年院は、「矯正教育」ということで登場します。「犯罪または非行を犯し、またはそのおそれのある者を矯正し、社会の一員として復帰させる教育」を意味するこの「矯正教育」こそが少年院独自の指導・訓練の手法なのです。①から③の三項目全てに共通する点は、かなりの力(ちから)業(わざ)ということだと思います。

 「矯正」と同じ音の響きの言葉に「強制」があります。「威力・権力で人の自由意思を抑えつけ、無理にさせること。無理強い」という意味です。児童福祉の考え方・手法は「矯正」でも「強制」でもないため、児童自立支援施設においては「矯正教育」は行っていないのです。

 では、児童自立支援施設においてはどのような形で指導・支援が行われているのか。中国の古典にヒントがあります。「荀(じゆん)子(し)」と「史記」の中に次のような四文字・二行の言葉が出てきます。

 「蓬生麻中 不扶自直」

読み下すと「よもぎまちゅうにしょうずれば、たすけずしておのずからなおし」となります。意味としては「ねじれたり曲がったりして伸びていく『蓬(よもぎ)』も、真っ直ぐに伸びていく性質のある『麻(あさ)』の中で育っていくと、何も手を加えなくても『麻』と一緒に真っ直ぐ伸びていく」ということのようです。「子どもを良い環境に置けば、大人が力を加えて引っ張ったりしなくとも全てが真っ直ぐ正しく伸びていく」という意味で、この考え方は言うなれば『環境療法』です。

 私自身もこの『環境療法』こそがまさしく児童自立支援施設の根本精神であり、指導・支援の基本的な手法であると考えています。家庭学校に来るまでの多くの子ども達はTVゲームに夢中になって昼夜逆転の生活を送り、学校をさぼり、言葉や着衣が乱れ、食べ物を粗末にする、そんな生活をしています。家庭学校の素晴らしい環境の中で先輩達の真似をしながら「能く働き、能く食べ、能く眠り、能く考える」生活を送ることによって、子ども達は大きく成長していくのです。

2018年08月号

退所児童を訪ねて

自立支援部長 楠哲雄

 寮担当を離れて三年目になります。最後の年に退所して高校へ進学したO君は現在高校三年生で、来春、卒業を迎えます。当初希望していた自宅からの高校進学は叶わず、事情により児童養護施設へ措置変更の上、高校に進学した子です。

 先方の児童養護施設の職員の方から、本児が落ち着いた生活を送っていること、高校ではクラブ活動を頑張っていることは聞いていました。児童相談所の担当福祉司にも、会う度に本児の様子を聞く等していましたが、措置変更先の児童養護施設が遠方ということもあり、本児と直接会う機会はありませんでした。

 今回、一泊二日の日程で元寮長寮母夫婦が揃って出張に行く機会を与えて頂き、片道四百キロメートル先の退所児童を訪ねることになりました。

 出張が決まるとすぐに先方の児童養護施設の担当職員に電話をし、O君に面会できるようお願いしました。ただ、O君が会う気持ちがないのに訪ねても虚しいため職員に確認してもらうと、「恩師が会いにきてくれる」と言って、楽しみにしているとのことでした。O君はクラブ活動で高校生活最後の大会に向けて練習しているため、週末のクラブ活動に支障のない日程で調整し、クラブ活動終了後に練習場で会うことに決めました。

 当日は早朝五時半に遠軽を出発。前日の天気予報では五月半ばであるにもかかわらず峠の積雪が予想されていましたが、当初の心配を他所に順調に移動できました。途中、運転の交代やトイレ休憩を挟みながらも四百キロメートルの道程をほぼ一気に走り抜き、約束の時間一時間前には到着することができました。早めに着けば遠くからでもクラブの練習風景を見ることができるかと思い楽しみにしていましたが、残念ながら雨天のためクラブ活動は中止でした。そのため、約束の時間になるとわざわざ施設職員の方が約束の場所まで本児を車に乗せて連れてきてくれました。

 二年振りに見たO君は私たち夫婦の想像を遥かに超えた好青年になっていました。落ち着いた雰囲気で自信に満ちた表情から、本児が充実した高校生活を送っていることを一目で理解できました。恥ずかしいことに二年振りの再会に少々言葉を詰まらせてしまいました。

本児の案内で地元のお食事処へ移動し、昼食をとりながら施設での生活や高校、クラブ、友達とのこと等聞かせてもらいました。本児も退所した後の家庭学校の様子が気になるようであれこれと質問してきました。家庭学校での生活を懐かしく思っているようでした。 

本児が言うには、高校での勉強の成績はそこそこだが、クラスではお笑い担当のムードメーカー的な存在とのこと。学校祭等の話し合いの場では本児抜きでは盛り上がらないほどであるらしく、夫婦で関西での生活が長く、子ども達との関わりでお笑いを重視する私たち夫婦にとって嬉しい話でした。

 また、冬に施設の建物の屋根を除雪した時に、他の子とは比べ物にならないほど作業量が多く圧倒的な違いを見せることが出来たことを自慢気に話していました。正直、実社会ではどうでもいいことだと思うのですが、そういう話を聞かされると、家庭学校で身に付けた作業がいろんな場面で活かされていること、またそれが本人の自信にも繋がっているんだなと感じました。

高校卒業後については、職員から色々と助言を受け、将来についてしっかり考えているようでした。自衛隊への就職を第一に考えているとのこと。もともと自衛官に憧れ、自衛官による音楽慰問やスキー指導により思いを募らせ自衛隊一筋でしたが、その思いは変わらず持ち続けていたようでした。ただ、何年間か勤めた後は児童自立支援施設の職員として家庭学校で働きたいと思っているとのことでした。O君から意外とも思える言葉が出たため戸惑いましたが、次は職員として再び家庭学校の門をくぐりたいという思いはこの上なく嬉しいものでした。

別れる時に、高校を卒業して仕事が落ち着いたら家庭学校に挨拶に来ると話してくれました。楽しみに待ちたいと思います。

 O君にとって家庭学校の生活はそれなりに意義のあるものとして残っていたことに安堵しつつも、それ以外の退所児童は家庭学校の生活をどのように思っているのか、いつも考えさせられます。大部分の子とは連絡が途絶えてしまい、たまに思い出したように連絡してくる子も稀で、定期的に連絡してくる子はほとんどいなくなってしまいました。彼らにとって家庭学校の生活、そして寮担当であった私達夫婦との生活はどのようなものだったのか、問うてみたくなるのです。

 子ども達は、様々な立場の職員が関わる中で成長していきますが、土台となる寮生活において夫婦職員との関係がしっかり築けなければ、彼らにとってここでの経験は有意義なものにはならないということを寮を離れて改めて感じました。 私達夫婦は、退所児童が家庭学校で有意義な時間を過ごすことができたのだろうか、私達夫婦との出会いがかけがえのないものと思ってもらえているのだろうか、と退所児童一人ひとりに思いを巡らせ、自分達の関わりを振り返りながら帰路についたのです。

2018年08月号

山から畑へ、今年は牛舎へ

望の岡分校教諭 河端信吾

 先日、家庭学校副校長先生から「ひとむれ」の原稿を依頼されました。久しぶりだなぁと思いましたし、自分はいつも作業班学習のことを書いてきたので、もちろん今回も同じテーマで書こうと思いました。ただ、運動会の実況放送のように、原稿がない中でマイクを持って、今見ていることを瞬時に「実況という名のおしゃべり」にすることや、学級通信のように思いのままに文にすることは得意なのですが、皆様のような文章を書くことは苦手でございます。「あー、困った」と思いましたが、でもやはり自分らしく書くことしかできませんので、少しの間、お付き合いください。

 まず、なぜ今年度、私が「酪農班」に所属したのか、その理由は極めてシンプルです。所属している生徒全員、といっても二人ですが、二人とも私が担任している中三の生徒だったからです。

 以前、小清水町や佐呂間町で勤務していた時に、担任していた生徒、あるいは顧問をしていた部活動の生徒の中にも、酪農業を営む家庭の子が結構多くいました。しかしながら、牛舎に入ったことは一度もなく、まして、牛と交流を深めたことは皆無でありました。ですが、もともと動物大好き少年を継続している自分ですので、わくわく感があったことは事実です。

 生徒と初めて入る牛舎、いやはや緊張しました。学級担任初日よりもはるかに緊張しました。感想は「大きい!でかい!」蒦本(わくもと)先生ご夫妻から「触ってもいいですよ。」と嬉しくもなり、不安になる言葉が届きました。生徒も恐る恐る触れ始めています。教師である以上、私もそうしなければならないという壮大な使命感のもと、生まれて初めて牛の頭をなでました。これで自信がつきましたし、生徒と喜びあったことを今でも覚えています。気持ちよさそうになでられている牛もいれば、余計なことをするなとばかりに手を払おうとする牛もいて、人と同じく、それぞれなんだなぁと感じました。これもまた人生勉強です。

 生徒たちはたくましく、先生の指示を聞いて、牛の給餌にも挑戦します。給餌が始まると、どの牛も餌をほしがるため大忙しです。でもどこか二人の生徒が生き生きとした姿に見えました。笑顔で牛と触れ合っていました。牛とはいえ、誰かに必要とされる思いを、身近に味わうことができる貴重な作業なんだなと感じたその時に、ふと思い出したことがあります。

 昨年私は「教育農場五十年」という、いわば家庭学校の歴史書のような本を読みました。難しい漢字やカタカナまで出てくるため、読むのに苦労したのですがその中にこのような一文がありました。

 「牛の世話を担当させた生徒は、性格が優しくなっていった」

 しみじみわかるような気がしました。

馬の世話を担当させた生徒とは異なっていたようなのです。馬もかわいいと思いますが、おっとりという点では牛の勝ち。

大きくて、優しい目を持ち、おっとりとした牛とともにいると、自然にその当時の子どもたちは、影響を受けたのですね。

 電牧線の設置作業では、広大な牧場を歩きながら、景色を楽しめます。蒦本(わくもと)先生の植物講座も受けられます。草刈りは全校作業の草刈りと異なり、刈って集めた草は牛たちのご馳走となります。故に大事に集めようとする自分がいます。

 何よりも楽しいことは、牛と会話をしている時です。というよりも、一方的にこちら側が話しかけているのですが。

「おーい、ご飯おいしいかー」「暑くないかー」

 牛は、言葉は返してくれませんが、じーっと私を見ています。それがかわいくて仕方がないのです。今までの作業班学習では味わうことができない体験ですし望の岡分校に赴任しなければ、退職まで経験できなかったことだと思います。

 作業班学習発表会や学級通信用に、作業の様子を写真に撮っているので、私のパソコンには、牛の写真コレクションができつつあります。

 仕事に疲れた時、考えることに疲れた時、マイピクチャを開いて牛とご対面、

実に癒やされます。大雨の時には「牛たち大丈夫かなぁ」と思ったりもします。自分には何もできないのですが。

 一昨年は山林班で木と触れ合い、昨年は畑で野菜と触れ合い、今年は牛と触れ合う日々。少し前の自分には想像もできなかった教師人生を味わっています。

 思いのままに綴ってきました。お付き合いいただきありがとうございました。

2018年08月号

〈児童の声〉

石上館 中二 Y・ 楽山寮 中二 S・掬泉寮 中二 K

 「つり遠足について」

石上館 中二 Y

 

 僕は、七月二十日に湧別川につり遠足をしに行きました。このつり遠足を通して学んだことが二つあります。

 一つ目は、魚が食卓に並ぶまでの関係者の苦労などを学びました。

 二つ目は、魚は、人間や他の動物と一緒で一生懸命生きている事を学びました。なぜこの事を学べたかというと、僕がつり遠足で釣った魚は、一生懸命、川に戻ろうとしていました。これを見て、魚も一生懸命生きているという事を学びました。

 僕はこの学んだ二つのことをいかして僕は今後の生活で、魚以外の動物にもそうですが、僕達の食卓に出ている料理の素材には、だれかしらの苦労があるからこそ、その素材があるのだと思います。なので、これからも、肉や魚だけに限らずに、その料理を作ってくれる人や、その料理の素材を作ってくださる農家の人々にも感謝したいです。


  「釣り遠足が終わって」

楽山寮 中二 S

 

 僕が学校に来て、一番楽しみにしてきた行事は釣り遠足でした。理由は二つあります。一つ目は、元々釣りが好きだったからです。ここに来る前、プライベートでおじいちゃんと行ったり、近くの川で釣っていて、なぜか、釣りの待っている時間が好きだったからです。いつ魚が来るかわからない時は、僕にとってはいつのまにか元の学校や友達といる時間より落ち着いた時間になっていたからです。

 二つ目は、なかなか学校から出る機会がなく、二ヶ月半ぶりに外に出れてちょっとした息抜きになるからです。僕はこの二か月間まだ一回も外に出たことはなくすごいワクワクしていました。そして翌日、色々な用意をして晴天の中、川に行きました。この前の大雨で川が多少にごってはいましたが魚を二匹釣ることができました。魚を釣った時、まき先生が「すごいね、あそこで釣るのはたいしたものだ。」と言ってほめてくれました。すごくうれしかったです。そして皆でジンギスカンを食べて自分で釣った魚を食べたら、すごくおいしかったです。その後さらにドジョウも釣りました。まだ小さく子どものようなのでにがしてあげました。

 今日の行事は外に出る事があり、教頭先生も言っていたのですがみんなが日々の生活がちゃんとできていたから行けたものでちゃんとやっていない人には参加できない行事なので、みんなが行けてよかったです。

 最後に、釣りざおの準備、ジンギスカンの準備をしてくれた先生方ありがとうございました。


  「音楽鑑賞会を見て」

 

掬泉寮 中二 K
 

 僕は、家庭学校に来て初めて音楽演奏を生で見たり聴いたりしました。鑑賞は、音楽発表でも見ているけど、今回は、フルートやギターを混ぜた演奏ですごく迫力がありました。

 今回の演奏を聴いて、僕は音楽に興味を持ちました。たまに寮で、ギターを弾く時があり、その時から、うまくなりたいと思うようになり、今回のギターで、もっともっと興味がわきました。

 フルートはすごく難しく小学六年生の時に吹奏楽でフルートをまかせられましたが、パーカッションになってしまいました。

 何日も練習してフルートの音を出せそうになりましたが、残念ながら音さえ出せませんでした。なので、立住さんと鹿野さんはすごい人なんだなと思いました。

 立住さん、鹿野さん、今回はすばらしい演奏を聴かせてもらいありがとうございました。

 今回の演奏で特に印象に残った曲は、ヴィヴァルディ~「春」が印象に残りました。何でこの曲が印象に残ったかというと、中一の時に音楽でこの曲を聴いたからです。また、機会があれば、家庭学校で演奏をしてほしいです。

 立住さんは、遠い東京から来てくださりすばらしい演奏をありがとうございました。今回は本当に、ありがとうございました。